日本人こそ市民がピストルを持つべき?
丸山眞男の提言。失われたコミュニティーの自己統治
■中世日本は武装した自治共同体があった
冒頭の一文の直前には、次のような文章が書かれている。
「とにかく、豊臣秀吉の有名な刀狩り以来、連綿として日本の人民ほど自己武装権を文字通り徹底的に剥奪されて来た国民も珍しい。私達は権力にたいしても、また街頭の暴力にたいしてもいわば年中ホールドアップを続けているようなものである」
丸山が述べているのは、国家の武装や軍備についてではなく、市民の「自己武装権」のことである。言われてみれば確かに、秀吉以前の時代では石山本願寺、雑賀衆、根来衆、比叡山、高野山などに、一般庶民から構成された僧兵や地侍が多数存在していた。こういった武装勢力は、大名の統治から独立して自らの共同体を築き、自治を行うこともあった。
他にも、堺のように街の周囲に深い濠を巡らせて防御を固めつつ、富裕な商人たちによる自治が行われていた自治都市もある。堺の自治の様子は、訪れた宣教師が「ベニスのように執政官によって治められている」と言葉を残すほどだった。中世の日本は、各地で封建領主による統治だけでなく、一般民衆の自主的な共同体による自衛、自治が行われていたのである。
秀吉は一揆や寺社勢力との戦いに苦労してきた織田軍の一翼を担ってきたために、武装勢力の手強さをよく知っていたのだろう。九州平定を果たした後の1588年に刀狩令などの、一般庶民の武装解除や私闘を禁じる政令を発布することで、武装勢力の自治を解体し、暴力的手段を独占して、中央集権化を図ったのである。その後、帯刀が許される身分と許されない身分とを区別した階層制度は江戸時代にも受け継がれていく。
実質的にどれほどの武装解除が為されたのかという点については議論があるのかもしれないが、いずれにしても統治者としての武装した武士階級と非統治者としての非武装の一般庶民という区別が生じた一つの象徴として、秀吉の刀狩りをとらえることができる。近世以後、日本の一般庶民が武装して自治を行うという形態はほとんど見られなくなった。